石・岩・驚きの風景
宇都宮市 大谷寺
25.12.13
■大谷寺拝観券には・・・
●弘法大師が洞穴に刻んだという、日本最古の石仏。歴史が織りなす神秘の世界が大谷寺に生きています。
特別史跡・重要文化財・名勝(国指定) 坂東十九番札所
日本最古の石仏(平安時代) 大谷観音

●大谷観音の縁起
その昔、この辺り一帯は大小の岩が、まるで屏風のようになっていて、その中は広く平らに広がり、大谷と呼ばれていました。岩下からは水が湧き出して川となり自然が作った城のようでした。この中には毒蛇が住んでいて、時々毒水を流れ出し鳥獣虫魚がこれに触れると、たちまち死んでしまったため、ここを地獄谷と呼んでいました。
人間がこの水に触れると病気になり、最悪の場合は死に至り、五穀は枯れ、草木もしぼみ、人々は苦しみ、この地を捨てようとしていました。
時に大同、弘仁(810〜)の頃、弘法大師が東国巡錫の折この話を聞き、里人のうれいを除こうと毒蛇の谷に入って行きました。人々はこれを聞いて喜びました。十余日の後、谷から大師が出てきて、毒蛇を退治したと告げて立ち去って行きました。人々が谷の奥に入り中の様子を見ると、高い岩山に千手観音が光輝きそのわきだちには不動明王と毘沙門天が彫ってありました。この三尊の光明は山谷を一面金色に変えました。人々は弘法大師の不思議な力に感謝し、大師の修行を貴み観世音に帰依して仏教を信仰する者が増えました。これが大谷寺の初まりです。
今、池の中央に弁才天が祭られています。かの毒蛇が心を入れ替えて白蛇となり、お仕えしています。参拝後には、白蛇の頭にも軽くふれて下さい。
※私のところ鹿沼市から比較的に近いところにあるお寺です。拝観しての感想は「何か重いものに圧し掛かられていて息苦しい」感じでした。
どうしても頭上の岩が迫り出しているため、頭がムズムズします。そしてタコがサザエに襲い掛かるような構図に見え、「ゾッ!」とします。忘れることはできません。
・・・拝観するときは度胸が必要です。だからありがたいのかもしれません。今まで拝観してきたお寺の中では恐怖度★★★★★のお寺でした。天台宗のお寺は赤い印象があります。堂内の石仏もしっかり記憶に残っています。
宇都宮市 平和観音
27.4.2
■説明板・・・
●大谷公園
市街地の西約7kmにある宇都宮県立自然公園内に位置します。元々は特産の大谷石を産出する採石場でしたが、世界平和を祈念した平和観音が刻まれた後に、昭和31年に開園しました。周囲の起伏に富んだ地形と松や広葉樹の自然林と相まって、独特の景観をかもし出している異色の公園として、多くの観光客に親しまれています。公園中央にはカエルの後ろ姿に見える「親子がえる」があり、参道の岩壁には、天狗が投げたという伝説が残る「天狗の投石」や巨大な石臼のような「スルス岩」などの奇岩があります。また平和観音の左側の階段から頂上に登る展望所では、平和観音の目線で名勝の指定を受けた御止山(おとめやま)や大谷の景観などの眺望を楽しむことができます。ここ大谷公園は、石像、採石場跡、奇岩などがあり、大谷全体の景観をコンパクトにまとめた公園です。

■説明板・・・
●平和観音
大谷寺の南側に高くそびえる平和観音は、身丈26.93m(88尺8寸8分)の高さで、第二次世界大戦による戦没者の霊を弔い(とむらい)世界平和を祈念するために、大谷観音の御前立(おまえだて)として彫刻されたものです。戦後間もない昭和23年9月より、当時の大谷観光協会と地元の人々の熱心な後援のもとに、大谷石の採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。東京芸術大学教授・飛田朝次郎氏が彫刻を手がけ、その指導ものと、大谷町の石工・上野波造氏らが制作にあたりました。6年の歳月を費やした結果、昭和29年12月に完成しました。昭和31年には、日光輪王寺門跡菅原大僧正により開眼供養が行われ、それ以降大谷の顔としてそびえ立っています。

宇都宮市 大谷 天狗岩
27.4.2
■説明板・・・
●奇岩群(スルス岩・天狗の投げ石)
大谷の人々は、大谷地区に点在する奇怪(きかい)な形をした岩に名前を付けて呼んでいました。大谷公園の中には、岩の中央に横に亀裂が入り磨臼(すりうす)のような形をした「スルス岩」と伝説では大谷の南に位置する戸室山に住んでいた天狗が、大谷に向かって投げた巨石が、崖の上でバランスを保ち止まっている「天狗の投げ石」があります。このほかにも大谷には「鶴岩」、「亀岩」、「兜岩(かぶといわ)」、「ダルマ岩」などの奇岩群が点在しています。これらの奇岩は古くは観光名所として紀行文や絵葉書などに登場しています。
宇都宮市 大谷資料館
27.4.2
大谷石採掘場跡です。
地下空間の温度は10度くらいでしょうか。寒い。短時間であれば我慢ができますが、長時間となるとなにか上着がないときついですね。
閉所恐怖症の人には見学するにはつらいところです。
宇都宮市 越路岩
23.11.30
■説明板・・・
●国指定名勝 大谷の奇岩群 越路岩 ▲所在 田下町 ▲指定 平成18年7月28日
越路岩は姿川に沿った奇岩群の北端に位置し、姿川が東向きから南向きに流れを大きく変える地点の右岸にそびえる独立奇岩です。特に北東や北に広がる田園を介した眺望に優れており、水面に姿を映し出し、あたかも奇岩が海面にそびえ立っているように見えることから「陸の松島」と呼ばれ大谷の奇岩群をコンパクトに表した景観です。
宇都宮市 逆木用水
25.4.16
■説明板・・・
●逆木用水(さかさぎようすい)のご案内
この看板の下を勢い良く流れているのが「逆木用水」です。逆木用水は「小倉米(こくらまい)等」で有名な米どころ約3500haの水田をかんがいする用水ですが、ここから約6km上流・塩谷町船生の佐貫観音(さぬきかんのん:国指定史跡)近くに造られた「佐貫頭首工(とうしゅこう):堰(せき)」から取り入れられます。鬼怒川右岸には、木杭や蛇篭(じゃかご)等で造られた4つの用水堰があり、高間木(こうまぎ)用水、逆木用水、根川用水、東芦沼用水を取り入れていました。洪水時に導水堤や堰が災害を受け、必要な水量の確保や施設の管理・普請に大変な苦労が必要でした。昭和20年代の半頃、五十里ダムや川俣ダム等洪水防止を目的とするダムの建設が進められるのを契機に、堰の代表者達は堅固な堰をつくりたいと「西鬼怒川土地改良区」を組織して対岸の5つの用水堰の代表者達と話し合い、国営(当時農林省)事業を推進することとして9用水堰の意向がまとまり、昭和28年(1953)には「鬼怒川中部土地改良区連合」が設立されました。以来、国営事業は、昭和32年に着工して、佐貫頭首工と9ケ所の用水堰とを結ぶ21.5kmの導水路を建設し、昭和41年に完成しました。
佐貫頭首工で取り入れられた用水は、トンネル等5.6kmの「導水幹線」で生まれる落差で「栃木県営風見発電所」が発電した後、鬼怒川左岸に開ける約5300haの水田を潤す市の堀用水や草川用水等の「東幹線水路」と逆木用水等「西幹線水路」とに分かれ、逆木用水は鬼怒川の底をサイフォン(暗渠(あんきょ))で渡って、ここで顔を出すことになります。この逆木用水は、下流の東京電力「西鬼怒川発電所」でも利用されています。逆木用水の旧取り入れ口は、この堤防上流端の岩山をくり抜いて作られていましたので、その洞門入口跡を見ることができます。鬼怒川中部土地改良区連合は、現在左岸の塩谷町大宮・赤沼用水・鬼怒川東部・釜ケ渕土地改良区と右岸の西鬼怒川土地改良区の5つで組織されています。
鬼怒川中部土地改良区連合
西鬼怒川土地改良区
宇都宮市 上河内 発電所
25.4.25
西鬼怒川(根川用水)にある発電所。水の流れがどのようになっているのか、全然わかりません。ただただ不思議な建物です。
深岩(山の名前)
鹿沼市 深岩
26.11.23
佐貫観音岩
塩谷町 佐貫観音
23.11.24
違和感を感じる大きな岩。
佐貫頭首工取水口
塩谷町 佐貫頭首工取水口
23.11.24
ここに落ちたら最後ですね。つかまるところはないし、トンネルの導水管にのまれていくだけです。
塩谷町 篭岩
26.1.24
自然はなんと不思議なものをつくりだすのか。
塩谷町 観音橋周辺鬼怒川
28.11.28
この周辺の景色は不思議としか言いようがありません。
日光市 六方沢橋
23.10.26
日光市 金精山
23.10.12
日光市 第一いろは坂 大薙
27.4.27
日光市 憾満が渕
日光市 分水井 杉並木公園
日光市足尾 足尾製錬所
日光市足尾 銅山観光
日光市足尾 弾薬庫跡
日光市藤原町 大滝公園
日光市藤原町 龍王峡 大観
日光市藤原町 地蔵岩
那須町 芦野  館山城址
■説明板・・・石造り(台座設置協力 芦野石振興会)
館山城址(たてやまじょうし)
「館」は「たち」とも「たて」ともいい、国司(こくし)・郡司(ぐんし)などの官舎を意味し、多くは土塁や堀を巡らした城塞(じょうさい)をなした。地方豪族の居所(いどころ)をいう。館山の地名は、現在の千葉県にある里見氏(さとみし)の居館跡(きょかんあと)や那須与一誕生の地(なすよいちたんじょうのち)と伝えられている「高館城(たかだてじょう)」が知られている。
芦野氏第2代の城館(じょうかん)である「館山城(たてやまじょう)」は、切り立つ岩山の丘陵地形を利用した要害(ようがい)で、前館(まえたて)、中館(なかたて)、後館(うしろたて)に区分され、東側を流れる菖蒲川(しょうぶがわ)を天然の堀とした極めて堅固な山城である。山頂や山腹には土塁や郭跡(くるわあと)の遺構がわずかに残っている。芦野の地は奥州との境に位置し、室町時代には北に白河結城氏、東に佐竹氏、南に宇都宮氏と対峙し、抗争を繰り返した。この城の築城は応永(おうえい)年間(1394-1428)と伝えられている。この時期は、個人戦法から集団戦法への変化に伴い、武士の居館が平城(にらじろ:芦野氏居館)から山城へと移行し、戦略的な変革時期でもある。

その後、狭隘(きょうあい)な地形と飲料水などの条件から、戦国時代の天文(てんぶん)年間(1550年頃)に、東方にある御殿山(ごてんやま:芦野城)を築城し、移転したと伝えられている。この間(約150年間)、芦野氏はこの地を拠点に那須氏の一翼として活躍したのである。江戸時代以降、廃城となった館山城は、芦野石の石切場となり、その面影をしのばせている。ここに、芦野八景の一つ「八畳石(はちじょういし)」があったが、芦野小学校建設の時にその礎石として利用され現在はない。
芦野石は国道294号線沿いの地域で産出される地場産品である。準硬石(じゅんこうせき)で加工がしやすく、石塔・墓地外柵(ぼちがいさく)・倉庫・石塀・門柱などに使用され、現在は、公園・広場の敷石にも幅広く利用されている。
芦野地区地域づくり委員会・那須町
※頭を連想させる寂しさ。
那須町 殺生石
大田原市黒羽 高岩園地
25.4.16
この岩は大きな入れ歯を連想させる。なんとも不気味。
大田原市 佐久山 分水井
25.4.16
近くには川は見当たらない。突如としてここの円柱コンクリートの中に水が湧き出しています。どこからここまで水を引いてきたのか、土木の力はすごいですね。
那珂川町 御前岩
19.5.12
説明板・・・
奇岩 御前岩
今から約280年前(元禄5年)徳川光圀公が領内検分の折、御前岩をご覧になられると「これは誠に天下の奇岩じゃ」と驚かれて「かかるものを衆目にさらすことは、よろしからず」と土地の役人に命じて、御前岩の対岸に竹を植えさせました。
この竹を腰巻竹と言って、県道から直接には見えないようさえぎられております。言い伝えによると、当町大字大内久通地区に淵があり、サイマラ淵と名付けられており、川岸には巨大な男根石があり「オンマラ様」と呼んでおります。その「オンマラ様」は、明治の末期に大洪水があったとき、哀れにもくずれてサイマラ淵に沈んでしまいました。それを知った御前岩は悲しみのあまり、霊水の変化は見られなかったと言うことです。
御前岩の上には小さな祠があって、そこには木や石で作った男根が奉納されており、祈願されますと子宝・安産・婦人病・五穀豊穣・商売繁盛・健康長寿に大変御利益があると言われております。かの有名なアメリカのインディアナ大学、性研究所の所長ポールゲブハート博士が1976年10月16日に訪れ、非常に興味深くご覧になられました。
1987年8月
那珂川町観光協会
那須塩原市 那須疏水 旧取水口
日光市 細尾発電所
日光市細尾 28.10.14
発電所で使用した水がプールに貯められている。
大きなプール。水深が深い。水がきれい。落ちたらどうなるのか。なんかぞっとします。
那須塩原市 野点岩
那須塩原市 七つ岩
真岡市 取水堰
真岡市 用水
那須烏山 龍門の滝
小塙 荒川の河食
那須烏山 小塙荒川の河食 25.5.10
■説明板・・・
●小塙自然環境保全地域(こばなしぜんかんきょうほぜんちいき)栃木県指定
ここ小塙地域は、河川地形の河岸段丘(かがんだんきゅう)や穿入蛇行(せんにゅうだこう:穿入蛇行(せんにゅうだこう)とは、よく発達した滑走斜面をもち、蛇行状に曲がりくねった谷の中を流れる河流の状態のこと。)が発達している地域です。荒川の流れがS字を連ねたように蛇行しており、曲流の外側の河岸が浸食されることによって、河床(かしょう)から高さ約15mの崖が続く崖線(がいせん)が形成されています。
これは、河川による典型的な浸食地形であり、崖線の壁面には地層が連続的に露出し、海棲貝化石(かいせいがいかせき)や有孔虫化石(ゆうこうちゅうかせき)を含んだ新第三系中新世(しんだいさんけいちゅうしんせい)、荒川層群小塙層の凝灰質砂岩(ぎょうかいしつさがん)の互層(ごそう)が見られます。
この連続的に露出した崖線により、地層の層理(そうり)・層序(そうじょ)・地質構造が観察できるため、学術的・景観的にも優れたものとして、自然環境保全地域に指定されています。自然が失われつつある今日、このような素晴らしい自然が残っていることは、大変意義深いことです。この素晴らしい自然を次の世代に継承していきましょう。
指定年月日 昭和52年7月19日 指定面積 5.00ha
この標識は、マロニエ緑化基金(栃木銀行寄贈)により整備されたものです。
栃木県
※この崖の上に住宅が何棟かあります。そのほうが怖い。
佐野市 須花トンネル25.1.31
■説明板・・・佐野市指定史跡 下彦間町須花
●手掘りの須花(すばな)トンネル 1本 平成6年2月21日指定
昔から飛駒(ひこま)、下彦間(しもひこま)方面から足利方面への交通には、険しい須花峠を通らなければならなかった。トンネルを掘って交通を便利にし、人々の苦労を救おうと決心した上彦間(現飛駒町)の戸長(こちょう:庄屋さん)田島茂平は、上彦間・下彦間・足利等の在住の協力者から資金援助を得て、明治14年(1881)工事を着手した。
しかし、当時のトンネル工事は、「げんのう」や「たがね」等を使う手掘り作業であったため遅々として進まず、資金はたちまち尽きた。しかしそれにもめげず、田島茂平は私財をなげうつなどし、明治22年(1889)1月、全長177mのトンネルを完成させた。時代に先駆けた発想でトンネルを掘った田島茂平の功績を顕彰する上からも、このトンネルは貴重である。
平成18年1月 佐野市教育委員会
鹿沼市 豊年杉
27.4.14
鹿沼市 地蔵ケヤキ
鹿沼市 満照寺
鹿沼市 満照寺
岩をくり抜いたところにお堂の外側を造り、その奥に観音様を祀ってあるのでしょうが、なんともせりだしている岩の圧力に恐怖を感じます。ここで撮影した画像はほとんどがピンボケでした。
■説明板・・・
●深岩山聖観世音由来
当山は平安時代の開基にして弘法大師諸国行脚の御時、当霊山に詣り感應道交(※かんのんどうこう:人々の仏を求める心と、それに応ずる仏の心が通じ合い、一つに交わること。)して救世の願いを立て深さ拾余間ばかりの巌窟の中、自然出現の本地身與(※ほんちみよ?)の院大日如来に礼拝供養の後、御長ケ(みのたけ)1尺3寸の聖観音を彫刻し給まうところなり。又左の洞(ほらあな)の水清浄にたたえたる処に弁財天を造立しついで巌窟の奥に七福即生の大黒天を刻し貧窮無福の衆生に福分を施与し給うところなり。その後明和乙酉4月竹姫様(徳川五代将軍綱吉の末娘)は当山の聖観音に帰依信心の心厚く御紋付の御斗帳御水引など永々御免下され、爾来今日まで弘法大師の御開基観世音示現の山として下野三観音と崇め、下野三十三観音の第30番札所として遠近の男女道俗群集して二世の願望を祈り、霊験誠に深甚にしてその御利生にあづからざる者なき霊地なり。
※往古より当山に伝わる、古文書による

深岩山満照寺には続けて3回いきました。3回行って3回とも写真が手ぶれを起こしてしまい、よく写っていませんでした。何故かお堂のところだけがブレます。
石段が結構きついせいかもしれません。お堂の前にたどりつくころには心臓がドキドキドキです。それと頭の上にせり出した岩のせいでの恐怖感なのでしょうか。いずれにしてもよく撮れなかったのは事実です。男坂、女坂がありますが、女坂で登ったほうがいいかもしれません。鹿沼三十三観音のなかでは一番きついところでした。案内板は3つありました。

下野三十三観音三十番札所になっています。
鹿沼市 長安寺
石段に付いている、イワヒバ。登るときは、イワヒバを踏みつけないように注意しなくてはいけませんね。神経を使います。
鹿沼市 引田 岩戸神社
26.11.6
鹿沼市 虎岩
26.11.23
茂木町 木須川の洞門
25.2.21
■説明板・・・
●木須川の洞門
この洞門は茂木町牧野と小深の境界を南流する木須川の蛇行部をカットする形で掘削された河川のトンネル。木須川は那珂川中流に、北から注ぐ小河川。この中流域は河床が緩慢に隆起したので、入蛇行の地形が多い。木須川自身もこの付近で大きく蛇行し、那珂本流にも近いので、後者の泥濫(氾濫のこと?)時には逆流して来て被害が大きかった。そこで小深等の住民が組合を作り、長峰山の下を潜る洞門を計画。事業費4424円を集めて、明治44年(1911)工事開始、大正2年ようやく完成。その間安山岩質の硬い岩石であったので難行。火薬等を使ったので、死者1名、負傷者も出た。規模は長さ47m、幅15m、高さ2.6mであった。その結果水田1.5haの美田を得、道路も改修され、河北の農民に多大な恵みをもたらした。大正6年には東方に記念碑が建った。
茂木町 馬門滝
2911.19
茂木町 鎌倉山
23.11.14
説明板2つ
■鎌倉山は、那珂川県立自然公園内に位置し、動植物の宝庫です。山頂付近からは那珂川の清流とのどかな田園風景が一望でき、那珂川沿岸随一と言われるその眺めは、とちぎの景勝百選にも選ばれています。また、学問の神様として有名な菅原道真公を祀る菅原神社(天神様)があります。
環境庁・栃木県

■鎌倉山の雲海
鎌倉山では、山から下りてくる冷たい空気が暖かい川面に触れて川霧が発生するため、雲の海に山々が島のように浮かんで見える「雲海」と呼ばれる現象を見ることが出来ます。雲海は、冷え込んで風の無い晴れた早朝によく発生し、晩秋から初冬の日の出の頃(夜明けから2時間程度)が特に身頃で、朝日に染まる雲海は、まさに絶景です。
環境庁・栃木県

●鎌倉山216m。下をみるとクラクラします。頂上には10台くらい駐車スペースがある。
那須烏山市 木戸不動尊
25.2.26
家に戻ってから、国土地理院の地図を見ると茂木町入郷地区、那須烏山市小原沢地区どちら側にも「木戸」という地名表記がありました。明治4年に茂木藩、烏山藩とも廃藩になっているので、当時の国境に関所のような木戸があったので地名として残ったのかな?などと考えてしまいます。その地名に不動尊をつけて通称「木戸不動尊」と言ってるのでしょう。

また、この不動尊の由緒がわからないので、ネットで情報を探したところ、創建がそうとう古い情報がありました。開山が今から1200年以上ということです。
また、創建が1467年(このはっきりした年数の根拠はわかりません。その後約500年間の情報なし。)その後、昭和、平成と不動堂の改修を重ね、今日に至っているようです。

創建等の歴史は以上ですが、いまから50年くらい前でしたら、周りの木々もまだ小さく、眼下の那珂川が一望でき、対岸の茂木町大畑・高畑集落を見渡せ、風光明媚なところだったのでしょう。また対岸の茂木町大畑・高畑集落からも、那珂川に浸食された崖の上にそそり立つこの赤い不動堂が見え、さぞご利益を感じとることができたことでしょう。

この不動尊からちょっと上流の茂木町大畑に、那珂川を眼下に見渡せる場所があり、そこに千体渕の説明板があります。
ちょうど立っている足元になります。対岸那須烏山市小原沢あたりから見ると那珂川に侵食された岩岩が仏様の姿に見える風景のようです。那珂川を川下りでもしないとわかりませんが、なんとか見たいものです。そのちょっと下流にこの木戸不動尊が建っているのです。

ネットには「厄除け不動尊」「パワースポット」とか「秘境の不動尊」という記載もありました
日光市 五十里 示現神社
17.10.19
撮影時は拝殿がありました。が、その当時も建物が歪んでいました。その後ネットで確認したら、この拝殿は老朽化のため壊され、本殿だけになっていました。
ここが怖いと思ったのは神社にたどり着くまでの山道を歩いていた時、近くで獣の鳴き声をきいたからです。
クマが出そうなところなので、一人では行かないほうがいいでしょう。
日光市 首切り地蔵
日光市 足尾 梵天岩
佐野市 林道 25.12.5
佐野市 基幹林道前日光線 大荷場木浦沢線 県指定氷室自然環境保全地域
道路幅が狭く、ガードレールがない。そのうえ道路下の木々が伐採されている。
落ちたらどこまで転げ落ちるかわからない。

後ろの山は岳ノ山704m。 
宇都宮市 男抱山
鹿沼市 深岩
白蛇弁財天 二宮町
風見の発電所
黒川発電所