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●藤原町の風景     現栃木県日光市
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戊辰戦争
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鬼怒川小学校は近く

屋外音楽堂も近い
仲附の旅籠も近くにある

戊辰戦争関係の史跡は結構あるもんですね。ここで雨がチラチラ。
日蓮上人遺跡帝釈堂はとなり。

19.10.2撮影 曇り・雨
戊辰戦争(ぼしんせんそう)
戊辰戦争は、慶応(けいおう)4年(1867)1月から翌明治2年5月までの政府軍と旧幕府側の戦争である。部分的には、鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦い(京都)、上野の彰義隊の戦い(江戸)、日光山を巡る攻防(下野)、奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)と会津落城(東北)、五稜郭(ごりょうかく)の戦い(北海道)などがよく知られている。
徳川家祖廟(とくがわけそびょう)のある日光山は、重要な戦略拠点(せんりゃくきょてん)で、そこに至る下野の戦いも多くの悲劇(ひげき)を生んだ。
しかし、政府軍の土佐藩(とさはん)隊長板垣退助(いたがきたいすけ)や会津連合大鳥圭介(おおとりけいすけ)らの努力で日光山の戦火は回避(かいひ)され、やがて戦争の舞台は、会津若松城下に通じるこの街道に移り、沿道の住民を巻き込んでいった。
藤原町 
板垣退助像 所在地(日光市上鉢石町)
上野の彰義隊
※日光山とは東照宮、輪王寺のあるところをいう。
戊辰戦争 大原村の戦い
日光山の戦火回避後、慶応4年(1868)、閏(うるう)4月から5月初めの2度にわたる今市宿攻防戦は、政府軍がこれを死守した。
敗退した会津軍は、陣容を立て直すために一旦(いったん)会津へ退き、再び南下して政府軍の進撃に備えた。
会津軍は、下原(しもはら:小佐越(こさごえ)駅付近)・大原(藤原中学校付近)・藤原(新藤原駅付近)など街道筋へ主陣(しゅじん)や前線基地を築き、装備を整えて、1日でも長く戦闘を持ちこたえ、若松城下をめざす政府軍の前進を阻(はば)もうとした。政府軍は、頑強(がんきょう)な抵抗に苦しめられたが、8月、会津軍の主戦場白河口へ結集する退却によって前進できた。
大原・藤原などの集落は、会津軍の退却に伴って焼き払われた。
藤原町

 殉難碑